お子さんでも分かる!!「障害者総合支援」(全9回)【 第1回 障害者福祉の歴史と実態 】

【 第1回 障害者福祉の歴史と実態 】

平成も残すところ1か月ちょっと。

平成22年生まれの娘も今月で9歳。周りには平成生まれのお母さんも沢山。

昭和後半生まれの私は昭和の終わりの記憶がない。

物心ついてからはじめての一時代の終わりに自分が生きていた足跡になるように・・・

START!

 

「なんと(710)素敵な平城京」

「なくようぐいす(794)平安京」

と頭に叩き込んだこの時代が、奈良時代。

日本の障害者に対する特別な政策は、この奈良時代にはじまったと言われています。

 

そして時代は流れ、人類史上最大の大戦争となった第二次世界大戦。

戦災によって多くの国民が身体に障害を抱えることとなりました。

 

核家族で育った根っからの鍵っ子の私。

両親共働きの為、学校の長期休みは決まって母方の祖父母の家へ。

祖父母の家なのに私はいつも「おばあちゃんち」と言っていた記憶があります。

若いころは草軽鉄道で勤務し、退職後は地元の水道屋さんで働いていた祖父の収入で成り立っていただろう家のはず。

 

でも、私にとってそこは、私を優しく包み込んでくれるあったかくて安心出来るおばあちゃんのおうち。

祖母と過ごした時間が多かったからか。

女性として、男性を支え家庭を守る縁の下の力持ちのような強さを感じていたからか…。

そんな祖母はいつも戦争の話を私にしてくれました。

戦争と言っても・・・戦争に行けなかった祖父の話。

若い頃の不慮の事故で右手の人差し指を落としてしまった祖父。

そう、祖父は銃の引き金を引く右手の人差し指を失っていたのです。

戦争に行きたくても、行けなった祖父の話は今でも私の心で生き続けています。

 

そんな戦後の障害者への考え方は、自立を促すと言う発想ではなく、

収容し保護すると言う単純なものだったようです。

 

学生の時の福祉の授業。

実習以外はいつも時計と睨めっこだった私ですが、なぜかこのフレーズはいつも思い出します。

「措置から契約(平成12年)」

障害者では、平成15年の法改正で「措置制度から支援費制度」へ転換したようです。

利用者の自己決定の尊重と言う点は評価されましたがまだまだこの時点では課題の残った法改正。

 

身体障害、知的障害、精神障害の3つの分野で別々の政策の運営が行われており、各分野間に格差が生じていたのです。

 

放課後デイGranny 開発チーム

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2019年3月8日

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